
特発性血小板減少性紫斑病

『特発性血小板減少性紫斑病』
血液中の血小板が抗体のいたずらにより攻撃されて少なくなる、
という、難病指定されてる病気。
これ、
私の持病です。
発症は、N子(三女)の妊娠中(妊娠8ヶ月時)。
自覚症状、全くなし。
8ヶ月検診で血液を検査したところ、血小板が0.2万。
(12万以上が正常。)(単位・・分からないので非表示です。)
豆腐の角に頭をぶつけるだけでもキケンということで、
東邦大学病院へ緊急入院。
検査の結果、病名が判明。
「豆腐の角ですって!?」
まあ、それは大袈裟に言ってたということが後に分かるンだけども、
妊娠中だったため、治療は行わず、
とにかく出産まで安静にしていなくてはならなかった。
言われてみれば・・、
でかいアザがあったり、
歯磨きで血が混じってたり。
要は、頭の内出血だけは気をつけろ、
というものでした。
血が止まりにくい わけですからね。
(ちゃんと止まるんだけど、人より少し時間がかかるって程度
例えば、普通の人が3分のところ、5分くらいな)
出産は、原則、普通分娩。でないと非常にキケン。
帝王切開などになったら、出血多量で死ぬ。
これ、脅かしじゃないんだよ。
ということで、万が一、帝王切開などになってもいいように、
計画出産にして、出産予定の2週間前から入院
(多分2週間だった、うろ覚えで、すまん)
胎児に影響がないという『γ(ガンマ)グロブリン』を点滴する。
これにより、血小板の数値が上がる・・・・はずだった。
しかし、思ったほどの効果は得られなかったのだよ、私は。
(一回50万円するらしいよ、この薬。
5日間くらいやったような・。
あ、またうろ覚えで、すまん)
(保険が効いたのでご心配なく。。)
結局、イマイチな血小板の数値のまま、
計画してた日時よりも早く陣痛が来てしまい。。
(3人目なんだからさ~、そうだよね~。)
あれよあれよと、普通分娩で、コロンとN子は産まれた。
(血小板の輸血をしながらの出産ね。)
(死ぬかも知れない出産だったけど、
まあ、死ぬつもりなんてなかったわ。
ってか、死ぬ気がしなかった。。)
だから、
な~~~んだ!楽勝ジャン!!
って思ったのはつかの間。
3人目ってのは・・・後産っていうの?
産んでからの方が、辛い・・。
次の日なんて、子宮収縮の痛みがヤバすぎて、
一日中カーテン締め切って、一人、ウンウンうなってた。
(あ、6人部屋でした。)
で、しかも、
血小板が少ないというのはこうゆうことだったのね!
って、思い知らされるくらいの、
すごい出血の量と、ひどい貧血・・。
貧血がつらすぎて、トイレにたどりつけず、
看護士さんがすかさず車いすを持ってきてくれて、
「そんなに辛いなら言ってくれたらいいのに。」
って、トイレまで付いてきてくれた。
トイレにたどり着けない程の貧血だったとは、
私もビックリしたわよ。
まあ、それも、その次の日にはある程度治まり、
よくある出産後のお母さんの生活を満喫することになるんだけども、
実は、産後すぐに、治療が始まっていて、
『プレドニン』というステロイドを40mg飲み。
それと同時に、
母乳が出ないようにする薬を飲む。
(ステロイドは赤ちゃんに悪影響ですものね。)
という療養生活が始まっていて、
経過観察、をされながらの入院生活だった。
一応、産婦なので、産婦人科での入院よ。
赤ちゃんも、普通にお世話し。
他の産婦さんや妊婦さんとおしゃべりしたり、
ミルクやおむつの業者さんの説明なんかも
一緒に聞いたりして、
(あ、3人目だから聞かないでも良かったんだけどね。)
あれは、たのしい入院生活だったな~~。
(なんせ、薬だけは大量に飲まされてるけど、
なんの自覚症状もないのでね。)
産後、2週間の入院だったよ。
退院する頃には、N子、
タダでさえ頭がデカく産まれたのに、
他の赤ちゃんと比べると、まあ、巨大児だったよね。
退院後は、私と娘達3人、
実家に10日くらいお世話になったけど、
そのころから、私の顔に変化が・・。
『ムーンフェイス』です。
プレドニンの副作用の一つ、顔がとにかくパンッパンに ま~るくなる。
痛くもかゆくもないんだけど、
目を下に向けると、ほっぺたが見えるのよ~。
むくんでるな~って感じでした。
でも、そのままということはないよ。
少しずつ、何ヶ月もかけて、
薬を減らしていって、
数値を8~10万くらいに保つ。
これがこの病気の治療法の一つなんです。
薬が半分に減った頃には、『ムーンフェイス』も消えてた。
と思う。(うろ覚えパート3)
最終的には、
薬も1mgになって、
副作用のキケンはほぼ無くなってた。
1mgになって、数年経って、
油断したね~~。
突然、再燃した。
(数値がいきなりガクンと下がった)
それは確か、N子が小学校を卒業した頃だ。
テニスラケットを手にぶつけたら、
みるみるうちに、ブク~~~っと、
幹部がふくれあがって、
(内出血が止まらないで、貯まってしまったのだ。)
数値がまた、2.0万くらいになってしまった。
(あ、この数字もまたうろ覚え。パート4やね)
もう一度、プレドニン大量接種という、
治療を1からやり直し ってことになってしまった。
まあでも、40mgから、ではなく、10mgくらいからだった・・ような。
(パート5だ。)
だから、ムーンフェイスになることもなく、
少しずつ薬を減らし、
そして、今に至る・・。
今現在、私は、
プレドニン 5mg を毎朝飲み、
2ヶ月に一度の検査に通っております。
(薬がなくなると行くみたいな。)
年に一度、レントゲンで内臓の検査と尿の検査もしてる。
ちなみに今は近所のお医者さんに通ってます。
(血液専門医のね。)
なんでも、薬の副作用には、
骨粗鬆症、糖尿病など、たくさんあるので、
定期的な検診は不可欠なんですよね。
私の血小板の数値は現在11~12万、って所です。
もう少し薬が減ってくれると嬉しいんだけど、
まあ、あんまり悲観的にならずに、
治療を続けようと思ってます。
てか、今まで、ずっと、悲観的になったことがないんだけどね。
(そんな性格じゃないってのは
このブログをずっと見てくれてる人は
きっと分かるだろけど。)
自分でもビックリするくらいの楽天家です。
「この先、年を取って、
薬の効果が無くなってきたりしたら、
どうなるのかな~~~。」っと
漠然と思うだけ、にしておこうと思ってます。
今の人生を楽しむ事が大事なので。
ひとつ不思議なのは、
N子は私の母乳を一滴も飲まなかった のに、
3人の中で一番体が丈夫だっつう・・・。
(大きな声では言えないが、偏差値も一番高い。
あ、家族で一番高い。。。)
てことね。
日本の粉ミルクはすばらしい!


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血液中の血小板が抗体のいたずらにより攻撃されて少なくなる、
という、難病指定されてる病気。
これ、
私の持病です。
発症は、N子(三女)の妊娠中(妊娠8ヶ月時)。
自覚症状、全くなし。
8ヶ月検診で血液を検査したところ、血小板が0.2万。
(12万以上が正常。)(単位・・分からないので非表示です。)
豆腐の角に頭をぶつけるだけでもキケンということで、
東邦大学病院へ緊急入院。
検査の結果、病名が判明。
「豆腐の角ですって!?」
まあ、それは大袈裟に言ってたということが後に分かるンだけども、
妊娠中だったため、治療は行わず、
とにかく出産まで安静にしていなくてはならなかった。
言われてみれば・・、
でかいアザがあったり、
歯磨きで血が混じってたり。
要は、頭の内出血だけは気をつけろ、
というものでした。
血が止まりにくい わけですからね。
(ちゃんと止まるんだけど、人より少し時間がかかるって程度
例えば、普通の人が3分のところ、5分くらいな)
出産は、原則、普通分娩。でないと非常にキケン。
帝王切開などになったら、出血多量で死ぬ。
これ、脅かしじゃないんだよ。
ということで、万が一、帝王切開などになってもいいように、
計画出産にして、出産予定の2週間前から入院
(多分2週間だった、うろ覚えで、すまん)
胎児に影響がないという『γ(ガンマ)グロブリン』を点滴する。
これにより、血小板の数値が上がる・・・・はずだった。
しかし、思ったほどの効果は得られなかったのだよ、私は。
(一回50万円するらしいよ、この薬。
5日間くらいやったような・。
あ、またうろ覚えで、すまん)
(保険が効いたのでご心配なく。。)
結局、イマイチな血小板の数値のまま、
計画してた日時よりも早く陣痛が来てしまい。。
(3人目なんだからさ~、そうだよね~。)
あれよあれよと、普通分娩で、コロンとN子は産まれた。
(血小板の輸血をしながらの出産ね。)
(死ぬかも知れない出産だったけど、
まあ、死ぬつもりなんてなかったわ。
ってか、死ぬ気がしなかった。。)
だから、
な~~~んだ!楽勝ジャン!!
って思ったのはつかの間。
3人目ってのは・・・後産っていうの?
産んでからの方が、辛い・・。
次の日なんて、子宮収縮の痛みがヤバすぎて、
一日中カーテン締め切って、一人、ウンウンうなってた。
(あ、6人部屋でした。)
で、しかも、
血小板が少ないというのはこうゆうことだったのね!
って、思い知らされるくらいの、
すごい出血の量と、ひどい貧血・・。
貧血がつらすぎて、トイレにたどりつけず、
看護士さんがすかさず車いすを持ってきてくれて、
「そんなに辛いなら言ってくれたらいいのに。」
って、トイレまで付いてきてくれた。
トイレにたどり着けない程の貧血だったとは、
私もビックリしたわよ。
まあ、それも、その次の日にはある程度治まり、
よくある出産後のお母さんの生活を満喫することになるんだけども、
実は、産後すぐに、治療が始まっていて、
『プレドニン』というステロイドを40mg飲み。
それと同時に、
母乳が出ないようにする薬を飲む。
(ステロイドは赤ちゃんに悪影響ですものね。)
という療養生活が始まっていて、
経過観察、をされながらの入院生活だった。
一応、産婦なので、産婦人科での入院よ。
赤ちゃんも、普通にお世話し。
他の産婦さんや妊婦さんとおしゃべりしたり、
ミルクやおむつの業者さんの説明なんかも
一緒に聞いたりして、
(あ、3人目だから聞かないでも良かったんだけどね。)
あれは、たのしい入院生活だったな~~。
(なんせ、薬だけは大量に飲まされてるけど、
なんの自覚症状もないのでね。)
産後、2週間の入院だったよ。
退院する頃には、N子、
タダでさえ頭がデカく産まれたのに、
他の赤ちゃんと比べると、まあ、巨大児だったよね。
退院後は、私と娘達3人、
実家に10日くらいお世話になったけど、
そのころから、私の顔に変化が・・。
『ムーンフェイス』です。
プレドニンの副作用の一つ、顔がとにかくパンッパンに ま~るくなる。
痛くもかゆくもないんだけど、
目を下に向けると、ほっぺたが見えるのよ~。
むくんでるな~って感じでした。
でも、そのままということはないよ。
少しずつ、何ヶ月もかけて、
薬を減らしていって、
数値を8~10万くらいに保つ。
これがこの病気の治療法の一つなんです。
薬が半分に減った頃には、『ムーンフェイス』も消えてた。
と思う。(うろ覚えパート3)
最終的には、
薬も1mgになって、
副作用のキケンはほぼ無くなってた。
1mgになって、数年経って、
油断したね~~。
突然、再燃した。
(数値がいきなりガクンと下がった)
それは確か、N子が小学校を卒業した頃だ。
テニスラケットを手にぶつけたら、
みるみるうちに、ブク~~~っと、
幹部がふくれあがって、
(内出血が止まらないで、貯まってしまったのだ。)
数値がまた、2.0万くらいになってしまった。
(あ、この数字もまたうろ覚え。パート4やね)
もう一度、プレドニン大量接種という、
治療を1からやり直し ってことになってしまった。
まあでも、40mgから、ではなく、10mgくらいからだった・・ような。
(パート5だ。)
だから、ムーンフェイスになることもなく、
少しずつ薬を減らし、
そして、今に至る・・。
今現在、私は、
プレドニン 5mg を毎朝飲み、
2ヶ月に一度の検査に通っております。
(薬がなくなると行くみたいな。)
年に一度、レントゲンで内臓の検査と尿の検査もしてる。
ちなみに今は近所のお医者さんに通ってます。
(血液専門医のね。)
なんでも、薬の副作用には、
骨粗鬆症、糖尿病など、たくさんあるので、
定期的な検診は不可欠なんですよね。
私の血小板の数値は現在11~12万、って所です。
もう少し薬が減ってくれると嬉しいんだけど、
まあ、あんまり悲観的にならずに、
治療を続けようと思ってます。
てか、今まで、ずっと、悲観的になったことがないんだけどね。
(そんな性格じゃないってのは
このブログをずっと見てくれてる人は
きっと分かるだろけど。)
自分でもビックリするくらいの楽天家です。
「この先、年を取って、
薬の効果が無くなってきたりしたら、
どうなるのかな~~~。」っと
漠然と思うだけ、にしておこうと思ってます。
今の人生を楽しむ事が大事なので。
ひとつ不思議なのは、
N子は私の母乳を一滴も飲まなかった のに、
3人の中で一番体が丈夫だっつう・・・。
(大きな声では言えないが、偏差値も一番高い。
あ、家族で一番高い。。。)
てことね。
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